活字 [DIARY]
最近、視力が落ちてきた・・・
特に左が、けっこうぼやっきーである。
直近の健康診断で、かなり左の視力が落ちたと指摘されるであろうと
検査に挑んだが、
結果
医「はい、それでは左いきましょうか?これは?」
私「右」
医「はい」
私「左」
医「はい」
私「右」
医「はい、OKです。」
私「・・・;;;」(適当に言ったのに、何故??)
てな感じで、全部当たっちゃいました。
これでよかったのか?
結果はともかく、目がみえんのにはかわりがないわけですから、だめなんですけどね。
そんな感じでずっと続けてきたことに支障が出始めてきたのである。
社会人になってから、習慣になっていることがある。
(画像と本文は全く関係ありません)←よくあるねこういうの
それは、一日一度活字に触れるというもの。
正しくは、読書するって事。
活字なら新聞見るし、ネットも見るし。
って事になるけどそうじゃない。
TVでもいい。映画でもいい。
と思うだろうが、
それらは鑑賞者の想像力を全く刺激しない。
小説を実写化した映画を見ても、
思ったほどの感動を得られなかった事は多くないだろうか?
それは、人の想像力にはどんな最新のCGも実力派俳優も勝てないって事。
活字から人は、それまで蓄積してきた情報の全てを使ってシーンを創造する。
夢で見たことや、出会った素敵な人。
最高の体験。
一連の文章から読み取り
頭の中に思い描くシーンは、読み手一人一人の最高のパフォーマンスをもって
創造される訳だ。
ほんの一時(いっとき)、日常から非日常へ頭を切り換えるのに
本は最高のツールなのだ。
それが、文庫本ならたった105×148mmの大きさで持ち歩けるのである。
それも、公共交通機関の待ち時間、友人との待ち合わせのひととき
たった5分で違う世界にいざなってくれる。
本を読む事に、抵抗のある人は多いだろう。
しかし、活字が伝えてくれる作者の息づかいに触れるとき
漫画より、映画より、TVドラマより、
一冊の新刊を手にしたときのわくわく感は、
なにものにも、代え難いものになると思う。
本は、魅力を知った人達にとっては最高の娯楽なのだ。
漫画や、映画だけで満足しているのは本当に勿体ない。
小学生の時に、ジュールベルヌを読んで本の魅力にとりつかれ。
学生の頃は、
SF作家の筒井康隆、半村良、眉村卓、エドモント・ハミルトン
そして
ミステリー作家の赤川次郎、西村京太郎、内田康夫
を読み倒してきた。
今は、作品がどんどん実写化されている人気作家
東野圭吾を読み倒している。
ベッドに入り寝付くまでのわずかな時間、
読書灯の灯りで、本を読むひとときが私は好きだ。
(画像と本文は全く関係ありません)
寒い夜は、布団にくるまって
読書の楽しさに触れてほしいと思う。
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