野口の正願坊 [飛騨の民話]
天正の頃、小島城の姉小路(あねがこうじ)小島時光の家来に宇次原権守(うじはらごんのかみ)という人がおりました。西の方面よりの敵を防ぐために、小谷に砦(とりで)を築き、見張りをしていたのだそうです。
野ロの正願坊付近に妖怪が出没して、通行の人々を苦しめておりました。
道ばたにちょうどよい岩があるので腰かけると、その岩が動き出し、腰かけていた人が下の川に引きこまれたそうです。
また、越中通いの牛追いが、牛を取られそうになり、牛を引っぱっているうちに自分の身も危うくなり命を失いかけたので、牛はあきらめて命からがら逃げたとか、人々の難儀はひとかたならないものがあったそうです。
その筋より、この妖怪を退治せよと、土地の郷士(ごうし)宇次原権守に下命がありました。命ぜられた権守は、何とかして退治しようとあせりましたが、妖怪がその正体を現わさないのには困ってしまいました。きっと深淵に住む主のせいだろうと、常にそのへんをぶらついて、注意を怠りませんでした。
ところがある日、淵のロの所に、今まで見たことのない岩がみつかったのです。
それは色も付近のものとは全く異なり、碁盤の目のような模様があります。
よくよく注意して見ていると、わからない程ですが、ほんのわずかずつ動いているようなのです。
権守は正体を見届けようと、細心の注意をはらって近づいて行きました。それこそ淵の主の大亀だったのです
権守は満身の力をこめて、そばにあった大石の角々したのを持ち上げ、大亀の上に投げつけました
すばやく腰の名刀を抜き放つと、ザクリとばかり切りつけました。
鮮血にまみれながら大亀は淵深く逃げこみました。
もくもくと流れ出る鮮血は、淵を真赤に染めました。
七日の後に、大亀の死体が浮かび出たということです。
それからは妖怪もすっかり出なくなり、人々はやれやれと安堵(あんど)の胸をおろすことができました。この大亀退治をして間もなく、権守の妻女がはらみまして、月満みて男の子を産んだのです。家中大喜びで、庄蔵と名をつけて、かわいがって育てました。
ところが、この子は二年たち三年たち、五年たっても、歩きもしなければ、ものも言わないのです。
両親の悲しみは、たとえようもありませんでした。
ある日、権守は悲しみのあまり、子どもを抱きよせ、「庄よ、庄よ。お前は生まれて五年にもなるのに、言葉もしゃべらず歩くことさえできないとは、何たる情けないことじゃ。おれの持っている名刀も、家伝の宝もみんな、他人に譲るよりしかたがないのかなあ。」と、嘆きながら言いました。すると突然、「庄はその宝ものや名刀を見たいよう。早く見たいよう。」
と言ったのです。初めて庄蔵がロをきいたので、夫婦の驚き喜びは大変なものでした。直ちにしまってあった宝物と名刀を持ち出してきました。中の物を出して見せると、その宝物を背負い、刀を杖にして立ち上がりました。
両親は手を打って喜び合いました。あれよあれよといううちに、のたりのたりと歩きだしました。そして、家をひと回りしたかと思うと、谷へ下りて行ったのです。
父は驚いて追いかけましたが、庄の歩みは次第に早くなり、どんどん駆け下りて、とうとうあの大亀の住んでいた淵へ、ざんぶとばかりとびこんでしまいました。父は狂人のように庄の名を呼びましたが、とうとう宝物も死体も浮き上がらなかったのです。
これからこの淵を「庄が坊」というようになり、後に「正願坊」と書くようになったということです。
高山線が野口の鉄橋を渡り一番目のトンネルに入る附近の宮川は、鳴岩といって、大変景色の良いところでした。
しかし、関西電力の野口ダムができため、昔の面影はなくなっています。そこから下流の山をぐるっと回るところに、正願坊という淵があります。今は、ダムのため水が枯れて、人を近づけさせないような不気味さはありませんが、以前はそれは、恐ろしいほど深く大きな淵でした。
今日はゾクッとするお話でしたね(@_@;)
いつも、ぼぼ影さんの民話シリーズ楽しみにしてます!
楽しい話やこわ~い話も、たくさん紹介してくださいね♪
by けろティ (2009-06-13 21:19)
庄蔵どうなるのかと読んでいくと・・・
怖いお話でした(^^;
それにしても民話って良いものですね
楽しみにしておりま~す♪
by 信州のりんごほっぺ (2009-06-13 23:31)
実は、・・・・亀マニアです。
by yogawa55はやぶさ (2010-05-29 23:00)