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はまぐり石の伝説 [飛騨の民話]

 戦国時代に築城された、高野と五社との間にそそり立つ古河城(別名 蛤城)に、蛤(はまぐり)のような紋様がたくさんある米俵大の雌雄一対の石がありました。

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 この石は、夜ふけになると、一方の石より白気をはき[ダッシュ(走り出すさま)]、二つの石が相応じてうなり声[るんるん]を発するので、土地の人々からたいへん[がく~(落胆した顔)]こわがられていました。どうしてこのような石が山城のいただきに置いてあるのでしょう。築城のとき、城の守り石として運び上げられたのかもしれません。


 天正十四年(1586年)、金森長近公が飛騨の領主となり、高山に城を築きましたが、長近公は、なんとかしてこの不思議な神通力をもつ蛤石を、自分の城内に置いてみたいと思いました。

蛤2.jpg

  そこで家来に命じ、この石を高山城へ運ばせることにしました。

 家来たちは、たたりをおそれて、長近公に思いとどまるよう進言しましたが、何事にも屈しない戦国武将のこと、「百姓どもの迷信にまどわされては、何ができようぞ[exclamation]」と、一言のもとにしりぞけ、無理[ちっ(怒った顔)]にでも蛤石を城へ運ばせようとしました。

 
やがて、集められた人夫によって、石は高山城へ運ばれることになりました。

二つの石は、普通の石より何倍も重くて、人夫たちをてこずらせましたが、やっとのことで道まで運びおろし、車に積みこみました。

 しかし、車が進むにつれて石はだんだん重さを増し、国府の桜野のあたりまで来たときには、人夫をどれだけふやして引っぱってみても、びくとも動かなくなってしまいました。

何とかし て動かそうとあせると、二つの石は、ぶぶうと無気味なうなり声[るんるん]をあげるのてす。

 このようすにおどろいた家来の者は、さっそく早馬馬.gifをとばして、このことを長近公に報告しました。長近公は、しばらく考えていましたが、「そのような石を城内へ運ばせようとしたのはまちがいであった。すぐさま、もとのところへ返すように[exclamation×2]と言いました。


 古河城への帰り道は、少しの人夫でも[わーい(嬉しい顔)]らくらくと運ぶことができ、無事に城跡へおさまりました。



 れから数十年後、飛騨一円は大かんばつ[ふらふら]に見舞われました。

百姓たちは、神の助けを頼みのつなにして、昼となく夜となく[雨]雨ごいの祭りをやってみましたが、天にはひとかけらの[曇り]雲も出てきません。

ひでり.gif

 
このとき、ある百姓が、「あのふしぎな力を持っている蛤石を、城の下の淵へ沈めてみたらどうだろう」と言い出しました。

 一同の者は、「それは名案だ。あの石のことだ、ひょっとしたら、どんな力を現すかもしれん。ひとつやってみよう」ということになり、片方の石を城の下に青くよどむ淵[たらーっ(汗)]へころがり[どんっ(衝撃)]落として沈めて[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]みました。

 すると、どうでしょう。

 たちまちのうちに黒雲[曇り]が現われ、大粒の雨[雨]がバラバラと降りだしたではありませんか。

 そのうちに雨はしだいに激しくなり、かわききった田畑をじっとりとうるおしていきました。

 百姓たちは、とつぜんの奇跡におどろき、思わず天を拝んで[わーい(嬉しい顔)]喜びの声[るんるん]をあげました。

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 現在、城跡に立っている蛤石は、雄か雌かわかりませんが、片方だけになったら、不思議な力はなくなったといわれています。


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  toumoro-b4.jpg

 


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yakko

お早うございます。
はまぐり石の伝説、楽しく読ませていただきました。
不思議な石ですね〜(@_@;)
こちらは毎年水不足なので早明浦ダムにほしいですね。(^_^;)
by yakko (2009-06-22 08:58) 

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