飛騨の民話 腰折(こしお)れ雀(すずめ) [飛騨の民話]
むかし、あるところに、とても優しいお婆さんがおりました。
ある日のこと、お婆さんが庭に出てみると雀(すずめ)が一羽、飛び立つことが出来ないでバタバタしていました。
そおっと近づいて手にとってみると、雀の尾っぽ羽が折れとる、、、。
「おお、おお、可哀そうに」
お婆さんは、雀の尾っぽ羽に薬をぬり、小んまい添え木を当ててやりました。
籠(かご)の中に入れて、水をやったり米を食わしたり、まめに世話をしてあげました。
すると、おばあさんの介護のかいあって、だんだん雀は元気になり、そのうちすっかり治りました。
お婆さんは、ぽかぽかした日に雀を籠から出し
「けがが治って良かったなぁ、さあ早よ、お父っつぁんとお母っつぁんのところへ飛んで行き」
ちゅうて、放してやりました。
雀は、ちょっとの間(ま)バタバタしていましたが、すぐにどこかへ飛んでいってしまいました。
ひと月ほどたってから、お婆さんの家の庭にいつかの雀が来て、チュン、チュンとしきりに呼ぶそうな。
「おお、また訪ねてくれたかいや」
と、お婆さんが庭に出ると、
「この間は、大けがをしているところを助けて下さいましてありがとうございました。今日は、お礼に来ました」
ちゅうて、お婆さんの前に、何か種のようなものを一粒ほろんと落としました。
「あれまあ、それはそれは、ありがとう」
早速おばあさんは、種を庭に蒔きました。
すると、それが芽を出して、すんすん伸びて、葉は茂るし、花も咲いて、たくさんの実がなりました。
それは、見事なひょうたんが取りきれないほどなっています
「こりゃ、すごい、近所にも分けてあげよう。」
ちゅうて、配った残りを、五つ六つ、倉の中にぶら下げておいたそうです。
秋になって、よく熟(う)れて皮が堅(かた)なってから下そうとしたら、そのひょうたんが何故かズッシリ重いのです。
しまいには抱(かか)えきれなくなるくらい重くなりました。
不思議に思って、ひょうたんのヘタを切って中を覗(のぞ)いて見ると、中には、真白い米がいっぱい。
「これもじゃぁこれもじゃ」
米は、食べても食べても尽きることは、ありませんでした。
それ以来お婆さんは、米を売りながら、毎日、花を作ったり、子供に話を聞かせたりして、一生安楽に暮らしましたとさ。
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猫石 [飛騨の民話]
高山の中央を流れる宮川の中橋詰めに高山陣屋があります。
そこは飛騨国主金森氏の向かい屋敷として建てられ、金森氏が徳川幕府によって出羽の国へ移封されてから、江戸幕府の代官が派遣されるようになり、代官所と呼ばれていました。
明治維新までの約180年間、そこに勤める代官・郡代を飛騨びとは殿様と呼んでいました。
ある時、殿様の娘が猫を大変かわいがっていました。どこへ行くにも娘は猫を連れていき、猫も娘のそばを離れようとしませんでした。
←こんな猫ちゃんだったのかな?
(ずくなしさんの愛猫ごろにゃん)
ある日娘が裏庭に出て池の鯉を眺めていると、猫がしきりと娘にまといつき、娘の袂や裾をくわえて引っ張り、叱っても叱ってもやめようとせず、それどころか益々激しく娘にからんでいくので、このままでは娘に危害が及ぶと思ったお供の者が、一刀のもとに猫の首を打ち落としました。
すると切られた首は、飛び上がって頭上の松の大木に巻きついて娘を狙っていた大蛇の首に噛みつき、大蛇もろともドスリと落ちてきました。
この時初めて、猫が娘を守るためその場から 離れさせようとしていたことを知りました。
命にかけて娘を守ってくれた猫のために、庭の隅にねんごろに埋め墓じるしとして石を置きました。これが、現在も陣屋の裏通りに廻ると見ることができる猫石です。
高山お越しの際は、飛騨高山陣屋にはこんなお話があったことも思い出しながらご散策くださいね。
飛騨の民話 水呼ぶコイ [飛騨の民話]
ずっとむかし。
すると、長老の弥作じいが、
弥作じいの話を信じる者や、反対の者やで、やかましゅう論じあった。
「とにかく、わしは、あのコイを作んなすった和田さま(飛騨の匠)に聞いてみるのがいちばんええとおもっとる。
和田さまは、弥作じいの話をひとつひとつうなずきながら、聞いておられたが、 すると和田さまは、白装束の衣装を身につけて、 さっきとはうってかわったきびしい面持ちで、弥作じいの前を通りすぎ、仕事部屋にはいっていかれたと。 トントン、トントンーーー何やら木をきざむ音がきこえてくる。 弥作じいは、そのひとつひとつの音にじっと耳をかたむけて、身のひきしまる思いで待っておった。
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飛騨の民話 小白川の大蜘蛛 [飛騨の民話]
むかし、もかし、ある村に魚釣りの好きな男がいました。
ある春の日、男は、
「水が温(ぬる)んできたから、魚どもも動き出す頃合(ころあ)いじゃろ」
いうて、村はずれを流れる川の深い淵(ふち)へ魚釣りに出掛けました。
釣り糸を垂(た)れでいると、どこからか、小さなクモがきて、細いクモの糸を男の足の親指に巻いていきました。
またきて一本巻いていく。
また来て一本巻いていくのです。
「なんじゃろ、いやらしいクモだな」
蜘蛛が何をしていくのだろうと思いながらも
男は悪い予感がするのと、気味が悪いのとで、クモが一本巻きつけていくと、その一本をはずしては、そばの大きな木の切り株へ巻きつけていったということです。
その間にも魚はたくさん釣れて、ビクいっぱいになりました。
男が、
「よう釣れた、このへんでしまいにするか、、、。」
といって、腰をあげかけたときのことです
淵の中から
「太郎も、次郎も、三郎もみんなかえれ」
と、あやしい声がしました。
すると、ビクの中の魚はいっせいに跳(は)ねあがって、一匹残らず川の中へ逃げていってしまいました。
その上なんと、さっきクモの糸をかけたそばの木の切り株が、めりめりと音をたてて淵の中へ引きこまれてしまったそうな。
びっくりした男が「あわあわ」とへたりこんでいるところへ、淵の中から、
「かしこい、かしこい」
という声がしたということです。
男は魂飛(たましいと)ばして、真青(まっさお)になって逃げました。
こんなことがあってから、村人は誰ひとりこの淵には近づかなくなりました。
しかし、そこを通りかかる旅人はそんなこととはちいっとも知りません。
年に何人かの旅人と馬が、淵の中へ引きこまれたということです。
世にも恐(おそ)ろしい魔(ま)の淵として、遠くの村々にまで、知られる様になったら、ある日、ひとりの旅の坊さまが、わざわざ、この淵へやって来ました。
そして、淵のそばの木の下で、のんびりと腰を下ろして休んでいました。
そしたら、大っきなクモが暗い茂(しげ)みから真赤な眼を光らせて、坊さまをにらみました。
今にもおどりかかろうとする気配(けはい)です。
坊さまは、それを見て笑いながら
「思ったよりたわけたクモじゃの、そのように大きな姿では、こちらが油断(ゆだん)せんわい」
というたら、クモは少し小さくなってみせました。
「なるほど、少しは神通力(じんつうりき)をもっているとみえるが、もう、それ以上は小さくなれまい」
というたら、クモは豆粒(まめつぶ)ほどになって、坊さまの足元へ近づいてきました。
このときとばかりに坊さまは力(ちから)を込めてクモを踏みつぶし、川の中へけり飛ばしました。
それ以来、通りかかる旅人を襲い食っていた大蜘蛛は、二度と姿をみせなくなりました。
賢い坊様と小白川の大蜘蛛のちょっと怖いお話でした。