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夏野菜 [DIARY]

 季節は梅雨に入りましたが、今年は思うように雨が降りません。
今週末より雨予報・・・
 鬱陶しい雨でも、やはり自然には大切ですね。
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夜半から朝方にかけておしめりがあったらしく、
野菜の苗が、元気になってました。
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↑紫蘇
(キュウリと梅肉をあえたのを紫蘇に巻いて、ちくわに入れて食べると
おつまみにぴったりです)
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ピーマンとししとうの苗

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↓ピーマンの苗にはおいしい実になるまえの
  あかちゃんつぼみがいっぱい出来てました。
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↓夏野菜の定番 きゅうり(夏すずみ)
  朝採れのきゅうりをさっと水洗いして、塩もみや味噌で食べるとおいしいですよね!

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これまた夏野菜の定番
桃太郎 トマト
わき芽をとらんと、いかんらしいですけど
何処がわき芽なのかようわからん。(^^ゞ

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はやく大きくな〜れ!!
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やっぱり
旬の物は、旬の時期に
採れたてを食べるのが一番おいしいですよね!!!!
楽しみっ!!(^.^)

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飛騨の民話 清左と河童 [飛騨の民話]

 むかしむかしの

ことじゃった・・・  

野首の野村勇雄家は、曽祖父助左衛門のころまでを代々清左衛門といいました。

それは何代目の清左衛門のことか分かりませんが、あるとき宮川沿いの上雲(かみくも)の田へ仕事に行っていました。

するとどこからか一人の小童PkpC.gifが現れ。

しきりに川へ水浴びに行こうと誘います。

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 このころ付近では、子供が川へ水浴びに行くと、きまって河童か現れ、ことば巧みに深みに誘いこみAkpA3.gif尻の穴から手を突っ込んでイドコを抜き、幾人も死んでいるので、これもきっと例の河童に違いないと思いました。


 清左衛門はす早く小石を拾うと尻の穴につめ、さて平気で水の中へ入ると、果たせるかな河童はかれの後へ後へとPkp.gif回ろうとするではないですか。

 勝気な清左衛門は水中で格闘となり、かれの腕を力にまかせて引っ張りました。


 腕はもろくも元から取れて来たので、清左衛門はこれをかかえ、そのひるむ隙を見て陸へ上がりました。

1.jpg

 そのまま家へ帰り、さて御飯をたべているとションボリ訪れたかの河童PkpD.gifは、昼の無礼をわび、数匹の魚を土産にさし出しながら、
「アノ腕を返していただけませんか」
と頼むのでありました。

河童は人間と違って、一日のうちなら、雑作なくこれを継ぐことができる性質があるということです。
 元来情深い清左衛門のこととて、
「オ前は、このごろ幼い子供をとらえてイドコを抜き、野首の人びとは大変難儀をしている……。

以後絶対にこのようなことをせぬと誓うなら、返してやってもいい……」
と懇々さとして、かの腕を返してやりました。

 河童PkpB.gifは心から詫び、さてそのお礼にヤケドの薬と「ひぼとり」の技法を授けてPkpB.gif去っていきました。
 その後「ひぼとり」の法は忘れられてしまいましたが、ヤケドの妙薬は代々相伝え、今に至っているということです。
 その技法というのは、「家伝薬」として秘法になっていますが、これを造るに山の木の皮と海川の魚類の一部とを粉にして、純粋の胡麻の油で黒く練ってつくるそうです。
 第二次世界大戦で名古屋が空襲を受けたとき、はるばるこの家を訪れるものも多くありました。

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 さて、その後清左は付近のコモリ山から川へ飛び込む河童の姿を、ときどき見かけたこともあるが、約束を守って、決して人をとらなかったということです。

 



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はまぐり石の伝説 [飛騨の民話]

 戦国時代に築城された、高野と五社との間にそそり立つ古河城(別名 蛤城)に、蛤(はまぐり)のような紋様がたくさんある米俵大の雌雄一対の石がありました。

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 この石は、夜ふけになると、一方の石より白気をはき[ダッシュ(走り出すさま)]、二つの石が相応じてうなり声[るんるん]を発するので、土地の人々からたいへん[がく~(落胆した顔)]こわがられていました。どうしてこのような石が山城のいただきに置いてあるのでしょう。築城のとき、城の守り石として運び上げられたのかもしれません。


 天正十四年(1586年)、金森長近公が飛騨の領主となり、高山に城を築きましたが、長近公は、なんとかしてこの不思議な神通力をもつ蛤石を、自分の城内に置いてみたいと思いました。

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  そこで家来に命じ、この石を高山城へ運ばせることにしました。

 家来たちは、たたりをおそれて、長近公に思いとどまるよう進言しましたが、何事にも屈しない戦国武将のこと、「百姓どもの迷信にまどわされては、何ができようぞ[exclamation]」と、一言のもとにしりぞけ、無理[ちっ(怒った顔)]にでも蛤石を城へ運ばせようとしました。

 
やがて、集められた人夫によって、石は高山城へ運ばれることになりました。

二つの石は、普通の石より何倍も重くて、人夫たちをてこずらせましたが、やっとのことで道まで運びおろし、車に積みこみました。

 しかし、車が進むにつれて石はだんだん重さを増し、国府の桜野のあたりまで来たときには、人夫をどれだけふやして引っぱってみても、びくとも動かなくなってしまいました。

何とかし て動かそうとあせると、二つの石は、ぶぶうと無気味なうなり声[るんるん]をあげるのてす。

 このようすにおどろいた家来の者は、さっそく早馬馬.gifをとばして、このことを長近公に報告しました。長近公は、しばらく考えていましたが、「そのような石を城内へ運ばせようとしたのはまちがいであった。すぐさま、もとのところへ返すように[exclamation×2]と言いました。


 古河城への帰り道は、少しの人夫でも[わーい(嬉しい顔)]らくらくと運ぶことができ、無事に城跡へおさまりました。



 れから数十年後、飛騨一円は大かんばつ[ふらふら]に見舞われました。

百姓たちは、神の助けを頼みのつなにして、昼となく夜となく[雨]雨ごいの祭りをやってみましたが、天にはひとかけらの[曇り]雲も出てきません。

ひでり.gif

 
このとき、ある百姓が、「あのふしぎな力を持っている蛤石を、城の下の淵へ沈めてみたらどうだろう」と言い出しました。

 一同の者は、「それは名案だ。あの石のことだ、ひょっとしたら、どんな力を現すかもしれん。ひとつやってみよう」ということになり、片方の石を城の下に青くよどむ淵[たらーっ(汗)]へころがり[どんっ(衝撃)]落として沈めて[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]みました。

 すると、どうでしょう。

 たちまちのうちに黒雲[曇り]が現われ、大粒の雨[雨]がバラバラと降りだしたではありませんか。

 そのうちに雨はしだいに激しくなり、かわききった田畑をじっとりとうるおしていきました。

 百姓たちは、とつぜんの奇跡におどろき、思わず天を拝んで[わーい(嬉しい顔)]喜びの声[るんるん]をあげました。

                      雷神.gif

 現在、城跡に立っている蛤石は、雄か雌かわかりませんが、片方だけになったら、不思議な力はなくなったといわれています。


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